2015年8月27日木曜日

なにがそうさせている 生き方編2「殻を作っているのは何」

「殻を作っているのは何」

殻や壁を作るというのは、内側と外側を隔てる行為です。
内側は自分自身であり、外側は自分に及ぼす影響全体を指します。
人間は常に外界から、なんらかの刺激を受けて生きています。そしてそれは自分を取り巻く環境から大きな影響を受けていると言えます。
一番影響力の大きな存在は両親でしょう。
家庭環境とは、すなわち両親との関係性による部分が大きな位置を占めています。さらに兄弟姉妹、祖父母という家族との関係性、次に友達となる人との関係性、といったようにコミュニケーションの巾が広がるにつれ影響を受ける対象も広がっていきます。

このように、人は常に外側からの影響にさらされて生きていきます。
その外側から及ぼされる影響に対して、それを自分にとって良いことであるかどうか判断し、どの様に対応するかを選択しています。
もちろん、自分自身も意思表示という方法で、周りに対して影響を与えてもいます。
赤ちゃんの意思表示は泣くことです。
泣くことによって、自分の求めるものを得ようという行動です。それに影響されて親は何事かと赤ちゃんを気に掛けます。
この時、泣いている赤ちゃんがほっておかれたらどうなるでしょう。
赤ちゃんにとって、最大の意思表示である泣くことが誰にも伝わらないとしたら、その赤ちゃんは、泣いていても欲しいものは得られない、という思いになりませんか。
それが、赤ちゃんの認知した状況ということになります。

次に、認知した状況に対して、どのような反応をするべきかを自分の中で作り上げます。
この場合、
泣いていても疲れるだけだから、泣くのは極力止めよう。
と考えたとしたら、あまり泣かない赤ちゃんになるかもしれません。
あるいは、
泣くだけでは不十分だ、自分から動かなければならない。
そう考えたとしたら、人一倍早くハイハイが出来る子になった。
ということもあるかもしれません。

このように、起こった一つの現象である状況を、どのように認知して行動するかで人の心理を探求するのが認知行動心理学の考え方です。

赤ちゃんは、そうやって自分の周りに起こった現象を捉え、自分の中でどの様に行動するかを決めていきます。もちろんそれは自分にとってそれが都合の良いであろうことを選択します。
生まれたばかりの人間の赤ちゃんは、周りから手を掛けてもらわないと生きていけません。
赤ちゃんの泣く行為は生きるという意思表示であり、生かして欲しいという自己主張でもあります。
生存という、生命の根幹に関わる問題に、赤ちゃんは生まれてすぐに直面するわけです。
この瞬間から、自力で生きる為の選択という自己選択決定権が与えられる事になります。

赤ちゃんは自己中心的欲求の塊です。
それは生存に直結する欲求ですから、当然と言えます。
これは生命の根源でもあるので、人としても例外ではなく、むしろ本能としてこの欲求を満たすために行動すると言っても良いでしょう。
この欲求は無意識の中に深く刻まれているので、普段意識することは滅多にありません。しかしその部分が、自分でも気付かないまま、少なからず感情や考え方にバイアスを掛けている事でもあります。

さて、赤ちゃんであるうちは良いのですが、自己中心的欲求を満たすための行動は、段々と制限されていきます。
そのうちに、「わがまま」と言われちゃうわけですね。
赤ちゃんは日々新しい事に興味を持ち、色々なものを得ようという欲求が膨らみます。人間の社会で生きていくには、人とのコミュニケーションは不可欠であり、社会の情報を得ることは生存に関わる問題であるからです。
生命として孤立しては危険である、という意識が本能として備わっているとしたら、人が誰かと繋がっていたいという欲求は自然なことであり、一人になることへの恐怖という意識は無くならないのです。
現代の問題には、このコミュニケーションによる問題が、とても表面化しているように思われます。

こどもが成長する過程で、自己中心的欲求による意思表示と、それに対して周りが反応した事によって起こる現象に、自分がどう反応するかでコミュニケーションの方法が決められます。
そのように反応することが、自分にとって都合がよいと判断するわけです。
そういう現象を繰り返していくことで、自分の行動パターンが決定づけられていきます。
このことによって、自己が形成され自分とはこういう人間であるという自意識となっていくのです。

殻や壁というのは、往々にして他者との間でのコミュニケーション中に、自分にとっての何かしらの不都合な現象が起こった場合に表れると言えます。
殻や壁というのは、防御したいということですから、それ以上触れて欲しくないという反応ということになります。
その事に関しては、自分が子どもの頃から培ってきた行動パターンに当てはまる反応をしているわけです。自分はそれをすることで自己形成してきた、これが自分なんだという揺るぎない信念があるのです。
信念という認知が自分にあるので、それはとても強固なものとなっています。
なぜなら、常にそれは自分にとって不快なものだという認知を繰り返してきたからです。

しかし、よく考えてみると、自分が不快と思っている事でも、他の人にしてみれば全く気にならない事であったりします。
これはどういう事でしょう。
つまり、それを不快と思った、認知したのは自分であって、同じ環境であっても、そうは捉えない人もいるということです。
同じ環境で育ったはずの双子であっても、性格が違うというのは、それぞれの認知のしかたが違っているからなのです。

まずは、殻や壁を作った原因となる現象が何か、自分自身の中で探ってみることです。


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