「殻や壁の本質」
殻や壁で守っているものは、自分自身の信念にあります。
「私ってこういう人だから・・・」
よくこんな言い方をしている人がいませんか。
「こういうの上手く出来ないんだよね。ほら、私って不器用な人だからさ〜」
これは、上手く出来ないという自分の評価に対して、不器用だということで正当性を付けようという気持ちの表れです。
不器用なんだから、上手く出来なくてもしかたが無いんだというアピールです。
これも一種の殻であり、壁でもあるわけです。
上手く出来ない事を、周りから責められる。
または、周りからの評価が下がる。
そういう状態になることで、自分が傷つくことを避けたい思いがあるわけです。
責められる前に、不器用であることを宣言して、周りには仕方が無いと思わせる。
自分が不器用だと思い込む事で、この件に関しては下がる評価を受け入れる。
こういった心理が働いています。
そうすることで、次回から同様の状況が起こったとしても、自分は上手くやらなくても済むという保険を手に入れるわけです。
器用か不器用かは、ひとそれぞれの個性なので、本来ならそこに優劣を付けるべきものではないはずです。しかし、人はどうしても他人と比較して出来る、出来ないという評価をして生きて来ています。
こどもの頃から、
「〇〇ちゃんは出来るのに。」とか
「みんなやれるのに、なんで出来ないの。」
といった言われ方をして育っていたりするので、しかたが無い部分もあるでしょう。
「ほんとにあなたは不器用ね。」
などと親から言われて育ったとしたら、本当はコンプレックスであるのに、それを正当化して自分自身を納得させるという方法で、傷つくことを回避してきたと言えます。
誰でも、人から責められるのは嫌なものです。
それで怒られたりしたら、その行為自体が恐怖の対象になってしまいます。
恐いことをやろうとするから、余計に不安感がつのって、パフォーマンスが落ちてしまいます。
そして上手く行かなかったら、また責められる。
それをくり返していくうちに、自分はこういうことには向いていない。出来れば避けて通りたいという思いが強くなります。
そうやって自分は不器用だという思いが育って、信念となっていきます。
ここまで来ると、なかなかその思いは変えられません。
自分で信念まで育てたものを、自ら壊すのは並大抵では出来なくなります。
ものごころついた時から、そういう状況は避けて通ってきた事なので、もう自分からやろうという気にはならないはずです。勧められても絶対にやらない、とか言って拒否したり。
この様に、信念となるまで育てた思いが、殻となり壁となっていきます。
自分は不器用である、という思い込みも自分の中では信念としてあるでしょう。
しかし本当は、”上手く出来ないのはダメな人である”というのが根底にある隠れた信念なのです。
出来ないやつ、ダメな人間、そういうふうに周りに思われる事が恐い。
この思いが根底にあるので、そう思われない為の自己防衛として不器用な人間である自分を作りだしているのです。
一見、「わたしって不器用だからダメなんだよね。」
といって自己卑下しているように見えますが、本当は人一倍、出来ないという事にコンプレックスを抱いているのです。
ですから、そこを強く刺激すると、パニックになるか、逆に怒り出すという事も起こる可能性があります。
逆ギレするというのは、そこを突かれるとあまりにも痛いという逃走闘争本能からくるものです。なので、怒っている人は、そこが本当は恐いことなんだなと理解できるのです。
このように人は恐いことから殻や壁を作って、避けて通ることをしています。
自分に殻や壁があると思うなら、その元となった部分にある恐れを探してみましょう。それが分かれば、自分自身のことがよく見えて来ます。ただ、恐いことには触れたくない、というのが心情です。そもそもそれが恐いので避けて通ってきたので、もはや無意識の領域にまでなっていると、回避行動も自動的に働いていたりします。自分でも本来の理由はよく分からないといった状態になっていたりすると、なかなか自分で恐れの根源を探るというのは難しかったりするでしょう。
客観的なアドバイスをもらうことで、気づけたりもするので、意識して誰かと話をしてみるのもよいと思います。
しかし、殻や壁を作って避けて通っていた恐い事は、本当に恐い事なのでしょうか。
この例でいえば、そもそも上手く出来なかったことで、責められたという状況がありました。
恐いのは責められた事のはずです。
上手く出来ようが出来まいが、それ自体には良いも悪いもないのです。
上手く出来なかった→責められた(ダメな人)→苦痛
この苦痛を回避するためには、責められないような対処をしなければならない。
そうやって自分が反応した対応が、不器用な自分であるという自己像になりました。
しかし、ここで責められなかったらどうでしょう。
上手く出来なかった→それでも褒められた→快楽
もし、こういう状況であったなら、そこに恐れの感情は起こらなかったはずです。
つまり、上手く出来なかった事、不器用であるという事には、何の意味もありません。
問題となっていたのは、責められた事にあるのです。
責められて、苦痛を感じたことに、自分はどのような反応をしたのか、ということが殻や壁を作った理由にあるのです。
苦痛は責められた事なのですが、それを今度は自分がダメだから責められる、と内部変換してしまうと、上手く出来ないのはダメな人である、という思い込みになります。
こうなると、本当の原因とは違うところが問題だ、とすり替わってしまい、自分でも根底にある恐れに気付けなくなるのです。
自分が不器用なのが問題だと思っていたことが、それは問題ではない、と気付くことが殻や壁を破る為のアプローチです。
殻や壁を破るとは、そもそもそんなものは必要無い、という気付きを得る事なのです。
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