2015年8月8日土曜日

なにがそうさせている ビジネス編6

「こころの仕組み」

意識が変わる程の極限状態では、こころの中で何が起こっているのでしょう。
それが解れば、なにもそこまで追い込まれなくても、人は変われるはずです。

それを知るには、こころの癖というものを理解しなければなりません。
先にも触れましたが、こころは楽な方を選ぶ性質があります。習慣化されたものを繰り返す方が楽であると判断して行動します。
これは、生物の本能的働きとしては正しい事です。生きる為に食料を確保しなければならない時、簡単に食べ物が手に入る場所を見つけたら、そこにいる方が楽に決まっています。
食べるものが無くなったら、次の場所に移動する。動物はそうやって生きています。
人間は生活の場を築き、そこに留まって生きる為に高度な文明を発展させてきました。
知能の発達は、人間の生活を形成するあらゆるものを創り出し、より複雑な生活環境を生きていく為の知恵として身につけてきました。
複雑な作業に集中して考えるには、簡単な作業は自動化されていきます。
このシステムを発達させたからこそ、人間の持つ無限の創造力が形成されました。

機械の自動化はとても便利なものです。
人間もその便利さを手に入れて、自動化のプログラムを思考に取り入れました。
一度覚えたものは、簡単に再現できるよう自動化されます。
繰り返し行動するパターンは、考えずに動けるようになり、思考の自動化が作られていきます。
自動化されたものは、本能の働きにより、それは楽であり正しい事である、と認識されます。

しかし、ここに落とし穴が潜んでいるのです。一度思考でプログラムされた自動化は、なかなか変える事ができません。そもそも考えずに行動するというプログラムなのでで、それ自体を考えるというプログラムが存在しない、もしくはあっても働かない状態にあるわけです。
まず、それが自動思考であることを、認識しなければなりません。次に自動思考で行っていたプログラムを、新しいプログラムで書き換えないといけません。
これが認知の変換です。

人は生まれた時の周りの環境から情報を得て、生存していくためのノウハウを蓄積していきます。その方法は人それぞれであり、それがその人の人格形成に大きく影響を与えていきます。
両親の様子を観察し、取り入れる部分は取り入れ、反面教師となる部分はそれをしない、といったようにして自分というものを作っていきます。
様々な考え方の中で、自分自身が取り入れてきたものが、やがて自分の考えとして定着します。
しかし、そのようにして形成した自分は、数々の考え方のある中の一部を取り込んでいるに過ぎません。
そして自分にとって都合の良い部分だけを集めて、それをさらに自動化することで、意識が成り立っているのです。

自分が形成してきたものは、自分にとって常に正しい判断をしてきた、というのが人間の性です。
それが間違っているわけではありません。ただそれだけが正しいとは言えないということです。
人は誰でも自分を正しいと思っています。なので、人の数だけ正しいが存在することになります。
自分が正しいに固執すると、諍いの元となってしまいます。
相手を否定することになってしまうからです。
人は否定される事を嫌います。否定されると、怒るか、落ち込むか、まともではいられなくなります。
しかし、本来はどちらも間違っていない、という事に気付けば争いは無用になるはずなのです。

自分自身が積み上げてきた考え方を変えるというのは、自己否定に繋がってしまいます。
否定するということは、恐いことなのです。しかも、それ自体が無意識の中にプログラムされているのです。
つまり、考えを変えるということは、いけない事(恐怖だから)という自動化が働いているのです。

これが、簡単に意識を変えられないメカニズムです。
やっかいなのが、恐怖というのは理性ではなく、感情であることです。
意識によって作られた思考のプログラムは、意識によって書き換えることは可能です。
この状態は、「頭ではわかってるんだけどなぁ」とか「理解はしている」という言い方で表現されます。
よく聞く話ではありませんか?
理性では納得しているはずなのに、行動できない。

人間が行動するには、感情の作用が欠かせません。この場合、恐怖という感情が根底にあるという事に気付いていないのです。恐怖を感じると、本能的に緊張感が高まります。動けなくなるというのもそのせいです。それが更に極限の生死に関わる状態に至ったとき、逃走闘争本能によって、逃げるか闘うかの行動を起こします。

解っていると言いながら行動出来ないというのは、そこに恐怖があるからなのです。

今私達が生活している社会では、そんな生存の危機に直面するようなことはありません。それをしたからといって命に関わることなどないのです。それでも変化に対する恐怖というのが、無意識の根底にある限り、新たな行動に移るのを阻んでいるのです。
意識を変える、認知を変えるということは、無意識にある恐怖を認識し、実はそこには恐怖など無いということに気付くことなのです。
変わることの恐怖がなくなれば、意識は直ぐに変えられます。むしろ理性が働いて、変わるべき正しい判断が出来るはずです。

このような心理のメカニズムを知る事で、自分自身が囚われている負の感情などを解放させていけば、より自由な生活への取り組みが得られるようになります。

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