2015年8月7日金曜日

なにがそうさせている ビジネス編5

「意識が変われば、人は変われる」

同じ所に留まるか、勇気を持って未知の領域に踏み込むか。
色々な場面で、こういう選択を迫られる状況はあると思います。
そういった場合、迷わず先に進む道を選んだ方が上手く行くのです。
その状況は、変化を促す為に訪れた、と捉えるべきです。留まることは、変化しようとするエネルギーに逆のバイアスを掛けることを意味します。そうなると、何をやっても上手く行かない、物事が進まない、という状況が生まれます。

一方で、変化の波に乗った時は、どんどん先に進みます。むしろ上手く行くことが向こうからやって来る、という感覚になることでしょう。自分の意識が変化する方にシフトしただけで、自分にとっての状況は好転します。
その際、変化を受け入れていく事が重要です。怖がって躊躇したりすると、その分進み方は停滞します。
今までの延長では、じわじわとマイナスになっていくだけで、そこを打開するには振り幅を大きくしなければなりません。
振り子を思い浮かべると分かりやすいでしょう。
始めは大きく振れていた振り子でも、何もしなければ振り幅は小さくなっていきます。
そして振り子は今にも止まりそうです。止まりそうだからちょっと突く。でも力が弱いからまた止まりそうになる。
現状というのは、これを繰り返している状態です。
振り子を動かし続けるには、常に力を掛けていなければなりません。しかし一見、手を休めても振り子は自然に振れていると思ってしまいます。まあ少し休んでもいいだろう、という慢心が慣れになってしまうと、気付いた時には振り子は止まりそうになっているのです。同じ力を掛けても、前のように大きくは振れてくれません。
再び大きな振り幅を取り戻すには、始めに持ち上げた位の力が必要になります。
つまり、お店を開いた時のようなエネルギーが必要だということです。
実際、物理的にお店を変えるのは難しいことですが、意識的にはそのぐらいの意気込みが必要なんだということです。

変化を受け入れるという事は、意識の転換でもあります。物理的に物事を変えるのは時間や金銭といった労力が必要になります。
しかし、意識を変えるのに、労力はいりません。今までと違った考えを受け入れるだけです。
あなたが見ていた左側の世界から右側の世界を見れば良いだけです。
ところが、ほとんどの人がそれを出来ません。なにがそれを出来なくさせているのでしょう。

この発想の転換を習得出来ている人には、ある共通点があります。それに気付いたあと、それぞれの人が自分の分野で何かを成し遂げていたりします。
その共通点とは、ほとんどの人が極限状態を経験している、ということです。
もちろん、その人にとっての極限状態という意味ですので、皆が命の危機にさらされるような経験をした、というわけではありませんが、人生においてどん底に沈んだ、とか生きる気力を失ったとか、そういう状況から這い上がったという経験者です。

発想の転換の例として、歴史上の話を取り上げてみましょう。
時代は戦国時代1600年。天下分け目の戦い、関ヶ原の合戦です。

この時、西軍には島津義弘が率いる島津軍1500人が参戦していました。
知っての通り、西軍は惨敗し敗走します。その時島津軍の周りは東軍に取り囲まれてしまいます。
退却するにも逃げようがなくなったのです。
ここで島津軍は歴史に残る行動を起こします。
島津の退き口と呼ばれる、前に向かって敵中突破するという前代未聞の戦法です。
退却というのは後ろに退くことですが、この時後ろ側は東軍の追撃で一杯です。唯一逃げられる道は、東軍本陣の前を突っ切り、その向こう側にある街道へ抜けていくしかなかったのです。
そうはいっても、敵の真正面を突き進もうというのですから、どれだけの犠牲が出るかもわかりません。しかもたった1500人で、万もの大軍の中を突っ切ろうというのです。
島津兵は殿様一人を守る為に、捨て身の戦いをします。死を覚悟して闘う兵に徳川の兵は怖じ気づいたことでしょう。その時点で勝敗は決してますから、そんな手負いの兵に立ち向かって命を落とすのはためらわれたと思います。
そんな島津軍の勢いで、奇跡的に島津義弘は助かります。生き残ったのは数十人であったともいいます。

歴史のIFを言っても仕方がありませんが、その時、普通に退却したら島津軍は全滅、島津義弘も捉えられ斬首となったかもしれません。後ろに退いて、じわじわと戦力を減らされていくなら、今の戦力で一点突破するという決断が、島津藩滅亡の危機を救ったと言えるでしょう。
この後の歴史で島津藩が重要な位置を占めるのは、この決断があったからこそです。徳川としては、腫れ物に触るような意識を植え付けられたことでしょう。それが幕末にまで繋がり、徳川幕府を終結させる立場にまでなっていくというのは、なんとも歴史の不思議さを感じさせられます。

島津義弘は戦上手として知られた人でした。それでも1500人という寡勢で普通に闘っていたらどうなっていたか分かりません。
戦況を見つつ、終盤まで闘わなかったことで、逆に取り残されるという状況が生まれました。
絶体絶命の危機が訪れたことで、今までにない発想も出てきたのでしょう。

つまり、人間はそういう八方塞がりの状況にまでならないと、なかなか意識の転換は出来ないものなのでしょう。
しかし、誰もがあえてそんな危機的状況を望んでそうなった訳ではありません。
結果として意識改革が起こったということです。
それは、どうしようもなくなった、という状況を受け入れたからこそ、全く別の回路が開いたと言えます。
今までの考え方が通用しない、という事実を受け入れた時、これまで見ていた景色とは違う景色もある事に気付きます。

本当は、そんな極限状態にならなくても、気付けばいいだけなんです。
ところが、そういう気付きについての考え方や取り組みかたを教わることがありません。
気付けないのは、こころの仕組みや反応についての知識が足りていないのです。

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