2015年7月31日金曜日

こころの健康と臨床 統合失調症

精神障害の中でも、なかなかその症状を理解しにくいのが統合失調症です。
その症状が本人にしか分からないものだったりするので、周りの人が想像出来ないからと言われています。

具体的な症状は
  • 妄想
  • 幻覚、幻聴(幻声)
  • 解体した会話
  • 支離滅裂な行動、緊張病性行動
  • 感情の平板化、思考の貧困、意欲の欠如
といった状態に悩まされます。

統合失調症は、主に次のように類型されます。
  • 妄想型:妄想や幻覚(特に幻聴)を主な症状とする。20代後半以降に発症することが多い。
  • 解体型(破瓜型):解体した会話、行動、周囲に対する無関心、感情の起伏の乏しさが主な症状。思春期に緩やかに発症。
  • 緊張型:極度の興奮、他動、昏迷を繰り返す。同じ姿勢を取り続ける、他人からの言動を意味なく繰り返す。人からされた姿勢を保ち続ける(カタレプシー)などが主な症状。20歳前後に急性に発症することが多い。
発症は思春期から青年期が殆どで、早期発見し治療を受けることが望まれます。
治療期間が短いほど、回復の予後が良いとされます。
症状の繰り返しが長引くと、感情の麻痺や意欲減退、思考弛緩などといった機能低下を繰り返し、徐々に機能がレベルダウンしていくことが検証されています。それによって他の障害も併発するということも危惧されます。

1990 年代に米国で開発され,2001 年より日本に導入されたバーチャルハルシネーション(virtual hallucination program:幻覚疑似体験装置(VH)というものがあり、患者の症状をリアルに疑似体験できるものがあります。
当事者に関わる周りの人が、それを体験し、どのような症状に悩まされているのかを理解することで、治療の助けとなります。
周りの人間がどれだけサポートしてあげられるかが、重要になります。

つい最近、今年の5月に交通事故で亡くなった、アメリカの数学者のジョン・ナッシュさんは、この統合失調症に悩まされながらも「ゲーム理論」を構築発展させノーベル経済学賞を受賞しました。
彼の半生が2001年に映画「ビューティフル・マインド」として公開されました。
映画では、障害者から見えている現実、という形で映像表現されているので、当人の意識を追体験出来るしくみになっています。見ていると、どれが実際の現象なのか、どこからが幻覚なのかが、分からなくなる時があります。しかし、実際は幻覚であっても本人にとっては現実と区別がつかないわけです。
映画では幻想の一部(人物)が現実的に整合性が付かないことに気付き(年を取らない)区別をしていく、というように描かれていますが、当事者でなければ、なかなか分からない感覚かもしれません。
それでも、障害を理解するためには、この映画も役立つことと思います。

幻聴(幻声)は、不安、孤立、過労、不眠の4条件によって引き起こされます。
この4条件が重なると、人は幻声を体験するようです。
過酷な条件が重なってしまうと、誰もが幻聴体験をする可能性はある、ということです。
例えば雪山で遭難した、などの体験をした人が、「天の声が聞こえた」といった証言をする話を聞きます。
それなどは、まさにこの4条件が当てはまる状態であったとも言えます。

幻声については、自分の考えに由来があるとされています。
次の3つのパターンがあります。
多面的な思考の一側面:人は同時に色々な事を考えています。一つの事を多方面から分析することもします。
自己否定的思考:自分はダメだ、いやそんなことはない、というような問答は経験あるはずです。
他者の言動の想像:あの人はこう思っているに違いないという考えが、現実の言葉として捉えます。

誰もが、普段過ごしている場面で考えていることですよね。
洋服を買いにいって選んでいるとき、こころの中ではいろいろと会話がされていませんか。
「あ、これいい。欲しな」「ちょっとまて、結構な値段だぞ」「これを着たら褒めてもらえるかな」「ん〜ちょっと派手すぎない?」
「今月ピンチなのに、そんな高いの買っていいのか」「ここんとこ忙しくて大変だったから、自分へのご褒美だ」
こんんが考えが次々と浮かんでいたりするはずです。
これが全部独立した会話として聞こえてきたら、うるさくて仕方ありません。
さらには、店員の声として「ちょっとあの人、似合わない服買おうとしてる〜」「ホントに買う気あるのかしら」「いつまで選んでるの、早く決めてよね」
自分がそう思い込んでる考えが、あたかも本当に話しているように聞こえてくるなんて、これは本人にしてみたら恐怖です。

普段から、不安や孤立といった状態にいると、こういったネガティブな考えに支配されてしまいます。本人が思っているほど、周りの人はなんとも思っていないという事実を認知できていれば、マイナス感情に囚われずにいられます。
日常の中でのコミュニケーションがうまくいっていないと、こういった障害に発展してしまう可能性があることを認識する必要があるでしょう。
自分も含め、周りの人の中にも、どこかコミュニケーションに問題がありそうな気配があったなら、早期に解消していくことが、このような精神障害を防ぐ手立てだと思います。
そして、あまりネガティブな考えに囚われないようにすることが、こころの健康を得るための秘訣です。


2015年7月30日木曜日

こころの健康と臨床 摂食障害

さて、今回は女性にとって避けて通れない話になりそうです。
そうです、ダイエットとは切り離せない問題、摂食障害についてです。

現代はダイエットブームというか、人格否定にまでなりかねないほど、体重を問題視する傾向がありますね。
女性に限らず、男性でもメタボとかいって太っていると、自己管理が出来ないやつ=仕事も出来ない、みたいに思われている場合もあるんじゃないでしょうか。
見た目だけの問題ではなく、太りすぎ、痩せすぎは、身体に影響を及ぼします。
メタボリックシンドロームなどでは、命に危険性のある疾患に繋がる恐れが増大します。また過度な食事制限を重ねると、ホルモンバランスの変調、栄養不足などで、これも病気を引き起こす要因となります。
どちらにしても、行きすぎると病気が待っているということを十分理解しましょう。

摂食障害には
    神経性食意不振症:AN(Anorexia Nervosa)以下ANとします。
    神経性過食症:BN(Blimia Nervosa) 以下BNとします。
と定義されています。

ANについては、体重増加の拒否、体重が増える事への恐怖感、体重・体型に対する過剰な自己評価、無月経など。
サプタイプとして、過食/排出型という、むちゃ食いをして吐く、とか薬を使って強制排出を繰り返すとかの行動をするケースもあります。食べたら、吐けばいいんだという誤った認識に囚われて、指に吐きダコが出来る程になってしまう。
最初は、「これならイケるじゃん」みたいに思うのかもしれませんが、正常な行為ではないので、身体に影響が無いわけはありません。
肉体というのは、習慣化された行動に適応しようとしていきます。身体を鍛えるのも、肉体に負荷を掛けた分だけ慣れていくことで強靱になっていくわけです。ただし、急激に負荷をかけると壊れてしまいます。
過度な嘔吐や排泄行為を習慣化していくと、肉体はだんだん摂取する機能が低下していきます。せっかく食べたものから、栄養を吸収することが出来なくなってしまいます。それは本来生存するために必要な栄養まで摂取出来なくなる恐れがあるということです。
つまり、太らないのではなく、太れない(肉体を維持できない=機能破壊)身体になってしまいます。
過度なダイエットの危険性はここにあります。
身体が受け付けなくなってしまった時、今度は食べようとしても吐いてしまう。もう自分の意思ではどうにも出来なくなってしまうのです。
実はこのANについては、精神障害の中でも最も致死率が高いと言われています。
食事を摂ることは、生きる上で欠かせない行為です。生きる為のエネルギーは食物からしか摂ることは出来ません。
その命に関わる行為を抑制していく事は、死に向かっていることと同じなのです。

ではBNの方(過食)はどうなのかというと。
何らかのストレスによるむちゃ食いがエスカレートする。明らかに食べ過ぎ。
食べることを制御できない、自分でコントロール出来ない感じがある。
むちゃ食いした分を嘔吐、排泄行為で補おうとする。
過食の後に極端に絶食したり、過度な運動をしようとうする。
こういった行為に及んで、自分ではどうしようも出来ない状態になります。
BNの方が治療予後が良い傾向にはありますが、これがANに発展してしまう場合もあるので油断はできません。
例えば、いっぱい食べても太らないね〜、などと言われると嬉しくなって、嘔吐行為を正当化して繰り返しているうちにANの症状になってしまう、ということも考えられます。

過食については、食=快楽という肉体の基本的な性質に根ざした部分もあります。
嫌なことがあったから食べる。食べるのは快楽だから心地よいわけです。負のストレスが掛かると、その分快楽を得ようとして食に走る。他の事でストレス発散が出来ていれば、そうはならないかもしれないのです。

ANもBNも一般的にダイエットから発展して障害に至る場合が多くあります。
どちらも、自己の体重やスタイルに対する過剰な認知によるものです。
TVやマスコミのメディアや世間などが、痩せていなければダメというような認識を与えてしまっていますが、そのような価値観に振り回されて、身体を壊すようなことの何が正しいのでしょう。病気になった人を羨むようは人はいないはずです。
体重にしても、人それぞれの肉体に合った状態が正しいわけです。
全てにおいてバランスの整った肉体というのが、一番美しいというのが正しい価値観ではないかと思いますね。

しかしながら、ダイエットという甘美な誘惑には誰もが惑わされるようです。ダイエット産業などとも言われるわけですから、そこには相当な利益関与があることでしょう。経済効果としては無視できない事ではあります。
だからといって、過度なダイエットに踊らされるのはどうなんでしょうね。
急激なダイエットは、ほぼ間違いなくリバウンドを起こします。
それは肉体がそうなっているからです。
急に食べるのを制限すると、確かにカロリー摂取はできなくなるので、体重は落ちます。さらに運動をすることで、体脂肪の燃焼等で引き締まるのは当然です。
急に栄養摂取量が減ると、肉体の方はびっくりして、これは栄養補給を急がなくてはならない、と脳が指令を出します。
ダイエット期間が終了して、また普通の食事に戻ったときに、脳はこの機会を逃してはなるものかと、少ない食料からでも最大限の栄養補給をしようと頑張るわけです。
そして、また訪れるかもしれない飢餓状態に備えて、せっせと栄養を溜め込もうと働きます。
ダイエットが終わった後の身体は、備蓄食料を吐きだして、すっからかんになった倉庫の状態なので、もう食料が入ってくるのを手ぐすね引いて待ち構えているようなものです。
「一時はどうなるかと思ったけれど、不良在庫まで吐き出せたよ、良かった良かった。これでまたいくらでも入るぞ」
なんて声が身体から聞こえてきそうです。
本当は、この不良在庫を入れていた倉庫を処分するのがダイエットでしょう。でも、倉庫を自体を処分するのは、それなりに時間もかかるという言うことではないでしょうか?
お手軽なものには、必ず裏があるって事を、人生の教訓として肝に銘じておきたいところです。

2015年7月29日水曜日

こころの健康と臨床 パーソナリティ障害 -境界性パーソナリティ障害-

最近インターネット上で飛び交うネット用語に「メンヘラ」という言葉があります。
こころに問題を持った人という意味合いで使われているようです。
どうやら「メンタルヘルス」が縮んで「メンヘル」となり、そのような人という意味で-erが付いて「メンへラー」→「メンヘラ」となったらしい、とあります。

とは言え、これはかなり曖昧な捉え方で、この言葉自体がひとつの意味を持って一人歩きしているところもあるので、一概にメンヘラ=精神障害者という括りにするのは危険に思います。
あくまで、ネット用語という特殊な使い方の中での言葉として捉えておきましょう。

ただ、どうやらそういう症状を指している障害としてはパーソナリティ障害が挙げられると思います。
パーソナリティ障害は、診断・統計マニュアルDSM-Ⅳ-TRによる分類では、A群、B群、C群と三つの症状に分けられています。
  • A群:風変わりな考え方や行動が特徴的。妄想性、シゾイド(統合失調症質)、統合失調型など。
  • B群:感情が激しく不安定なタイプ。反社会的、境界性、演技性、自己愛性など。
  • C群:不安感が強いタイプ。回避性、依存性、強迫性など。
どの症状においても、なんとなくそれっぽい気質というのは、誰でも持っているものです。
ちょっとそういう性格もあるよね、ぐらいの個性として捉えるのが良いと思います。

この中では、B群の境界性パーソナリティ障害を取り上げてみましょう。
この境界性パーソナリティ障害は、対人関係、自己像、感情の不安定性と衝動性が顕著に表れます。

    見捨てられる感:誰も私のことを見てくれない。
    他者への過度な依存感:私の事を愛してくれている。逆にどうして愛してくれないの。
    衝動的な自傷行為:むちゃ食い、浪費、無謀な行動。
    自殺行為:脅し、リストカット。
    気持ちが不安定:情緒不安定、強い不快感。
    慢性的な空虚感:何もやる気が起きない。どうでもいい感。
    激しい怒り、制御不能の怒り:急に癇癪を起こす、けんか。
    妄想、解離など
対人関係において障害となる場合が多いので、周囲の人が巻き込まれる可能性があります。
特に19歳〜34歳の間での出現率が高く、女性は男性の2〜4倍の割合という統計もあります。
若いうちの発症では、周りの友人なども対応する知識が乏しいという場合もあるでしょう。
お互いが辛い思いにならないよう、正しい知識を得ることは必要だと思います。

障害となるケースには基本となる3テーマが存在します。
(1)自分に自信が持てない
(2)生活の方向性が十分に定まっていない
(3)支えになる仲間が少ない
こう見てみると、なるほど若い人に起こりうる要素だと感じますね。
治療に際しては、基本的には自助努力が必要ですが、環境となる家族や友人の協力が重要になります。
自分に自信が持てない、という思いが大きいので、自分に対しての否定的な認識を改めるよう促していくことが必要です。
自信というのは、他人から与えられるものではなく、自分で獲得するものです。
自信を持てるような勇気づけをしてあげられるよう、手助けをするのが周囲の人の役目です。
無気力や無関心などの症状でうつ病とも捉えられがちですが、基本の3テーマがうつとは異なるので、薬だけでは改善しにくいのが特徴です。

発症のケースを追ってみましょう。

他者からの注意を過剰に捉え傷つく。自信喪失。
もしくは注意を非難と捉えて、ショックを受ける。
これによって、自己の全否定や侮辱された感が増大。(普通なら我慢できるレベル)

自己否定が過剰だと、自傷的行動、自傷行為に及ぶ。
侮辱感、見捨てられ感が過剰だと逆に反発して、切れる、八つ当たり、けんかなどにエスカレート。

それによって周囲との軋轢が生まれたり、反発や敬遠され孤立することとなり、後悔する。
そんな自分に自己嫌悪し、落ち込み、不安感やむなしさがつのる。

そして、悪循環に陥っていくことによって、障害に発展していきます。

特に怒りが高じて暴力的行動が引き起こされると、周囲との軋轢もより修復が困難な状況を作ってしまいます。
怒りの感情は瞬間的に暴走する状態を作ってしまうので、そうなる前にセルフモニタリングが出来るように意識を気持ちに向けているよう心がけると良いでしょう。
怒りとは、自分に及ぶ危険に対してどう対処していいか分からないという恐怖の裏返しです。
怒られているのが恐いから怒る、傷つくのが恐いから怒り返す、というような、自分の中にある恐怖を自分自身が理解しないうちに感情に引きずられて興奮状態になるのです。
興奮すると冷静な判断が出来なくなり、訳が分からないから更に暴走する。
どうですか、身に覚えはありませんか?

怒りを制御するには、怒りの前兆が芽生えた時点で、何がそうさせているかを理解することです。怒りの正体が分かれば怒ることはありません。
なんだか分からないもの、というのは恐怖に繋がります。そこで逃走闘争本能が働くと、逃げられる場合はそれでいいですが、逃げられないとなったら闘うモードに入ります。それが怒りですね。

怒りとは恐怖の表れである。

そう捉えていれば、周りで怒っている人を見ても、「あの人は何を恐れているのだろうか」と観察しているうちに、怒っていることも気にならなくなってきます。
これを習得しておくと、だいぶ楽な気持ちで居られるので、おすすめです。

2015年7月28日火曜日

こころの健康と臨床 不安障害 −強迫性障害−

強迫性障害とはどういうものでしょう。
まず、定義される二つの症状として、強迫観念と脅迫行為があります。
  • 脅迫観念:侵入的反復的に体験される思考、衝動、心像
  • 脅迫行為:脅迫観念に伴う不安や苦痛などを和らげる為に行う行動、心の中の行為
ちょっと解りにくいかもしれませんが、本人はそれが過剰であることも認識している場合があります。

誰にでもよくあることで、簡単な例をあげてみましょう。
今から用事があって出かける事になりました。
外に出てしばらく歩いたら、ふと玄関にカギを掛けたかどうか気になりました。
なんだか自信がもてなくなって、引き返して確かめます。
もう一度カギをかけたのを確認して、歩き始めます。
ここまでは、だれもが経験したことはありませんか?

しかし、あれ、本当に大丈夫か?カギを逆に開ける方に回したままにしたんじゃないか?
そういう思いが沸いてきて不安になり、また戻って確かめます。
そして確認したにも関わらず、もし空いてたらどうしよう、泥棒に入られたらどうしよう、と不安がつのります。
結局また戻って確認する、という繰り返しになって、出かけられなくなってしまいます。
ここまで来ると、確実に生活に影響が及び、障害となるでしょう。

最初の「あれ、カギ閉めたっけ?」とか「窓閉めたかな?、ガスコンロのスイッチ切ったかな?」というのは侵入思考といって、普通に思う事として経験します。しかし、そこから泥棒に入られるかもしれない、ガス爆発するかもしれない、という不安が増大して、どうしようもなくなるという状態になってしまうのです。
でも、現実的に玄関を閉め忘れたからといって、必ず泥棒に入られるということは、まずあり得ないでしょう。
明らかに異常な不安感や我慢できない思いというのが脅迫観念です。
そして、それを解消、または苦痛の緩和の為に、カギの確認を必ず5回やる、とかガス器具の元栓は全部閉めるという行動を取るというのが脅迫行為となります。

脅迫観念で一番多いのが、汚染に対してです。潔癖症という人はけっこういますよね。
次が病的疑念です。これ、バイ菌で自分が汚れて、病気になってしまうんじゃないか、というように汚染とセットとも言えます。
脅迫行為では、確認が一番、次が手洗いです。
前述のカギの確認のように、何回も確認しないと気が済まない。手洗いは汚染に通じますね。
また、自分だけじゃなく捲き込み型として、質問攻めにしてしまう、とか強制的にやらされるような場合もあります。

脅迫観念が表れると、それに対する脅迫行為をすることで、安心感を得ようとします。
パニック障害でも触れましたが、不安感というのは一時的なもので、時間が経てば自然に収まります。
しかし脅迫行為を行って安心感を得ようとすると、それをしないと不安であるという悪循環に陥ります。
その脅迫行為は過剰な行為であって、する必要はないのです。
それをしなくても大丈夫という体験を自ら進んで行うことが、障害の緩和につながります。

普通の人でも侵入思考であるところのネガティブな考えは当たり前に起こります。
ストーブを消し忘れて火事になるんじゃないか、とか運転中に赤信号でアクセル踏むんじゃないだろうか、とかちょっと危険な考えがふっと浮かぶようなことは誰でもあります。
どうやら、そう思った自分自身が本当にそれをやってしまうんじゃないか、とか本当にそうなってしまう、という思い込みが強い人が、強迫性障害に向かいやすいかもしれません。
物事をハッキリさせないと気が済まないとか、100か0で物事を考えてしまうようなタイプの人と言えます。
また、女性は、妊娠、出産で発症する場合があるといいます。これは守るものが出来たことでホルモンバランスが崩れたりすることが原因とも言われています。

考え方の中に、こうでなければならない、そうあるべき、というような誤った信念や強固なこだわりを持っていたりすることで、それにそぐわないものに対しての不安が過剰になっていきます。囚われている考えが強固であればあるほど、相反する不安感も増していくのだと思います。
自分自身の中にある、そのような部分を冷静に分析して、客観的な判断を持てるようになることが、思考の悪循環から抜け出ることになります。自分の思考の流れを書き出してセルフモニタリングをするという方法もあります。

一般的に、白黒つけたがるという気持ちがあるのは分かります。
でも、こっちが正しい、そっちが間違っているというのは、概して主観的なもので、見方が変わればどちらとも言えないというものだったりしませんか。白黒つけることが正しいというわけでもないはずです。
世の中、どちらとも言えない中で成り立っているもので、正しいも間違いもないという認識でいるほうが、だいぶ生きやすいんじゃないかと思いますね。

2015年7月27日月曜日

こころの健康と臨床 不安障害 −社会不安障害−

社会不安障害、あるいは社交不安障害とは、あまり聞き慣れないかもしれません。
これは主に対人不安に対しての障害です。
他者との関わりの中で発症するものなので社交不安障害という言った方がしっくりくるかもしれません。

具体的に対人不安とは、
”他者からの評価に直面したり、もしくはそれを予想したりすることから生じる不安状態、あるいは、他者からの詮索や注目、その存在によって引き起こされる動揺や混乱”
この状態の強度、頻度が強くなって生活に支障を来す状態のことを言います。

社会不安障害という言い方をすると大げさに聞こえるかもしれませんが、コミュニケーションの問題と捉えると、けっこうありがちな場面を思い付くのではないでしょうか。
他人の目が気になるようになったり、恐い先輩が居たりすることで、びくびくするとか、おどおどするとか。
人前で発表するなんて時に失敗してダメなやつと思われたらどうしよう。
子どもの頃は平気だったのに、思春期になってからだんだんとそんな意識が出てくるものです。それ自体は成長過程においては当たり前に起こることなのですが、その不安感が過剰になってしまったことによる疾患と言えます。

強度のあがり症、特定の人に相対すると緊張で硬直してしまう、または人と接するような場面全てにおいて恐怖を感じてしまうという例が挙げられます。
また、そういった不安感がつのることで、身体的な症状(動悸、息切れ、発汗、めまい)などが引き起こされて、パニック発作も併発するという場合もあります。
他にも、不安感を抑えようとして、アルコール依存に陥るというケースも通常の2倍以上の確率で確認されています。

精神障害全般にいえることですが、この社会不安障害が起こる原因というのもはっきりと特定されてはいないのが現状です。こころの問題は複雑な要因が相互に影響しているものなので、限定された原因というのは導き出すのは困難であるといえます。
今のところ、学習経験、遺伝的要因、家庭環境が互いに関連した中で引き起こされる、というのが社会不安障害の原因にあるのではないかと考えられています。

社会不安障害の治療法として薬物療法は有効です、また不安や恐怖に対してのカウンセリングを併用していくことが、治療効果の持続につながります。

この社会不安障害の要素としては、日常の中にもよく見られるものがあると思います。

「ちょっと自意識過剰なんじゃない」とか
「そんなの被害妄想だよ」とか
「誰もあんたの事なんて見てないよ」
「みんな気にしてないんだから大丈夫だよ」

こんな会話、けっこう聞きませんか?
でも、本人にとっては、どう思われてるか不安でしょうがないのです。
周りのみんなには、「こいつダメだな」と思われているんじゃないか。
励まされても、「にこにこしてるけど、心の中では私のことを笑ってるんじゃないの」とか、相手が考えていると思い込んでしまう。これを投影と言います。

自分の中でネガティブなイメージを想定して、あたかも周りの人もそう思っているに違いない、と思い込みます。そう思われている自分に自信を無くして、卑屈になり、またそれを見た周りの人のネガティブな評価をイメージしてさらに自信を無くすというスパイラルに陥ります。

問題は、最初のネガティブなイメージは自分自身が勝手に作り出したものである、という認識の欠如にあります。自分が思うほど周りの人は何とも思ってない、というのが事実なのですが、なぜかそう思えない。

これには、日本の社会的集団意識が影響している部分もあると思います。
他人に何か言われるのが恐い。人と違うことをしてはいけない。目立ってはいけない。こういった他者と自分という関係性に必要以上に敏感であると思います。
最近はとにかく「空気を読め」という言い方でばっさり切り捨てられている感じがありますが、そういうものに縛られている自体がおかしな事だと、誰も言い出しませんね。
こういうこと言うと、「空気を読んでない」と非難されちゃうのかな?
「空気を読むとは、あうんの呼吸によりお互いの調和をとり、和を持って尊しとなす、という古来より受け継がれる日本人の美徳なのである」という集団的自衛権を発動されちゃうかも。

逆にアメリカとかなら、自分の意見を言えないやつは評価されない、とか個性を発揮出来ない人間はイケてないとか言われると思います。国が違えばまったく逆の捉え方をされるわけです。

自分自身がその状況をどう捉えているのか、特に自己否定に繋がる要因はどこにあるのかを正しく認識することが必要です。案外とその部分は自分でも気付かない無意識な反応をしている場合があります。
例えば、人前に出て発表するのが苦手だとします。
実は小さい頃に学芸会で失敗して笑われたことがあったのですが、自分ではすっかり忘れていたとか。
何か失敗すると、いつもすごい剣幕で親に怒られていたという事があって、上司の前では必要以上に緊張してしまう、とか、自分の過ごしたきた環境の中で、何かしらの誘発させる原因があったります。
そういう外部からの影響によって、自分自身が受け止めたものを、あたかもそうで有るべきというような思い込みで自動的な判断を下しています。
これは、誰でも持っているもので、実はそうやって気付かず自動思考をしてしまっている事が日々の中にいくつもあるはずです。感情が揺さぶられるような出来事があったとき、一歩引いて自分を見つめ、なぜそういう気持ちが起こったのかに注目しましょう。そこで囚われているものに気付ければ、より穏やかに過ごせる自分を得ることができるようになるでしょう。

2015年7月26日日曜日

こころの健康と臨床 不安障害 -パニック障害-

不安障害には幾つかの分類があります。
  • パニック障害
  • 社会不安障害
  • 強迫性障害  
    他にも全般性不安障害、恐怖症性不安障害、外傷後ストレス障害など
まずはパニック障害について。

このパニック障害というのも割と聞いたことがあるのではないかと思います。
電車に乗れない、とか人混みに行けないなどの症状で苦しんでいる人です。
かなりポピュラーな病気であり、女性は男性の2倍ぐらいの発症率があるといわれています。軽度なものを経験したことがある人は多いと思いますが、パニックになる原因については、今のところ生理的に特定される原因は不明のようです。
実際の症状としては、
  • 心臓がドキドキする
  • 汗をかく
  • 身体や手足の震え
  • 呼吸が早くなる、息苦しい
  • 息がつまる
  • 吐き気
  • めまい、ふらつき、気が遠くなる感じ
突然、こういった身体の反応が現れることで、現実でない感じや、身体のコントロールが効かなくなって、死んでしまうのではないかという恐怖に襲われる、というような状態になってしまいます。

まず、要因となる出来事があって(電車に乗る)
心身の変化が起こる(めまいや動悸、息苦しさ)
このまま倒れてしまうのではないかという恐怖(破局的認知)
その場から逃げ出す(回避行動)
また電車に乗ると、発作が起こるのではないか?(予期不安の形成)

こういった心理で、その後電車に乗れなくなってしまう、といった具合になり日常生活に支障を来すこととなります。
実は、この発作的な身体状況については、一時的なもので、時間が経てば収まってくるものなのです。パニック発作によって命が脅かされるようなことはありません。冷静にしていれば、やがて発作はおさまってきます。
問題なのは、その状況になったときの破局的認知にあります。
身体の状態に過剰に不安感を募らせる結果、それがまた興奮状態を引き起こし、症状が持続してしまいます。火に油を注ぐような状態ですね。
まず、発作は必ずおさまるという認識をしっかり持って、過度に身体に現れた症状を意識しないように冷静さを保つことが、パニックにならない秘訣です。

身体に起こった症状を冷静に捉えて、慣れていくこと。発作が起きたら、ゆっくりと腹式呼吸をして、慌てずに落ち着くのを待つなど、対処法を身につけましょう。
ガムを噛むとか、音楽を聴くとか、自分に合ったいろいろ落ち着ける行動などを探してみるのもよいでしょう。
対処法のとしての呼吸法は、気持ちを落ち着かせるという場面では有効な方法なので、覚えておくと便利です。
まず、鼻からゆっくり息を吸い込みます。このとき、脇腹やおなかを膨らませるように腹式呼吸をします。息を吸い込んだら、一秒ほど間をおいて、「ふーー」っとろうそくを吹き消す時のようにしてゆっくりと息を吐きます。吐き終えたら、今度は長めに間をおいて、また息を吸い込みます。これをゆっくりと繰り返します。
鼻から息を吸い込むことで、鼻腔内の神経を刺激し、副交感神経が活発になりリラックス効果が生まれます。
呼吸を意識することで、呼吸が整い、不安感からも一旦気持ちをそらすことができる。

パニック症状が出ることを殊更に怖がって、そうなる可能性のある状況を避けようとしますが、それではなかなか解決には向かいません。身体的症状で肉体が損傷するような事は起こらないし、自然と収まっていくんだと理解し、その状態に慣れていくことで、症状を克服していくというのが改善の流れです。

まあ、そうは言っても本人にとっては、ちょっと恐いことではありますよね。
実は自分もちょっと高いところは苦手です。恐怖症という程ではないので、行けないことはないんですが、だからといってあえて無理矢理行くことはないですね。
どうしても、という状況の場合は、「絶対に大丈夫なんだ」と自分に言い聞かせ、おしりから背中にかけてひゅるひゅるした感じがくると、「おっとっと、来たぞ〜」ぐらいに思うようにしていますね。
慣れていくには時間がかかるのは仕方がないかもしれません。
少しずつでも改善できれば良いのではないでしょうか。


2015年7月24日金曜日

こころの健康と臨床 睡眠障害

暑い日が続くと、夜眠れなくなりませんか?
耐えきれずエアコンを付けて寝ると、今度は身体が冷えて、だるくなっちゃったりして。

睡眠は大切です。
気分障害の項でも触れましたが、睡眠不足は精神的な疾患のきっかけにも繋がる要因のひとつです。
なかなか眠れずに困っているという人は、あんがい多いのかもしれません。
睡眠についての正しい知識を得ることで、睡眠障害にならない予防と対処方法を身につけましょう。

睡眠には2種類があることは、一般的にも知られていることと思います。
  • REM睡眠 身体の休息。比較的眠りは浅く、呼吸も浅い状態です。
    夢を見たり、金縛りにあうのもこの時です。筋肉の緊張は緩んで力が入らないので、意識はあるのに身体が動かないと感じています。
    この時脳は主に記憶の再編と整理を行っています。脳の代謝は活発で目覚めへの準備を行います。
  • Non-REM睡眠 脳の休息比較的深い眠りの状態。
    4段階で深い眠りについていきます。身体は完全には弛緩していない状態です。
    主に大脳の休養を行っています。活発に働いている脳を冷却し、オーバーヒートを防ぎます。この時成長ホルモンが分泌され、子どもであれば、身体の成長を促し、大人は体組織の回復(大事なお肌の回復)や損傷箇所の回復に繋がります。
また、この睡眠によって、脳が得た情報が整理され(REM睡眠)記憶として定着される(Non-REM睡眠)働きがあるとされます。

このように、睡眠には重要な働きがあることがわかります。
寝る子は育つ、と言いますが、まさにしっかり寝ることで成長ホルモンの分泌を促す効果があるからです。お肌にとっても睡眠不足は大敵。でも、ただ眠れば良いということではないですね。ちゃんとNon-REM睡眠になってないと、何時間眠ったからといって、重要な成長ホルモンが分泌されていないという事になってしまいます。

睡眠時間は年齢事に変化してきます。高齢になると睡眠時間は減る傾向にあります。
これも睡眠のメカニズムを見ると、納得するものがありますね。
子どもの頃は、なんでも刺激的なので仕入れる情報量が膨大です。当然、情報の整理にも時間が掛かるはずですし、身体も大きくしなければならないので、一生懸命眠らないといけないわけです。
大人になるにしたがって、それほど新しい情報を得ることも少なくなってくるし、肉体的にも成熟しきっているので、それほど回復させる必要もなくなってくる、ということで睡眠時間も短くて済むのでしょう。
そう考えると案外、大人になっても眠れるっていいことなんじゃないのかな?

睡眠による脳の働きを知ると、勉強の一夜漬けに効果のないことも分かりますね。
記憶の整理、定着は睡眠中に行われるので、寝た方がいいのです。睡眠不足で試験に臨むなど、身体も脳も疲れたままで、記憶も整理されずに試験を受けることになります。
非効率極まりないですね。
と言いながら、自分もやってたなぁって思うと、その当時の無知な自分に教えてやりたい気分です。

睡眠障害に至るきっかけには、眠りに対しての過度な精神的反応もあります。
本来身体に備わっている体内時計と、就寝の時間がズレていくことで眠れなくなったりするのは良くあることです。また、睡眠時間も人によって個人差があるので、必ずしも8時間眠れないのは不眠症になった、と思い込む必要もありません。
要は、目覚めた時にすっきりとした状態であれば、眠りは十分足りているのです。
殊更眠れていないことを意識すると、「眠らなければならない」という思いに集中することで余計に眠れなくなるというスパイラルに陥ります。
精神的障害というのは、共通してこの負のスパイラルが何処かに生じているのです。

 睡眠障害にもいくつかの種類があります。
  • 不眠症:十分に眠れない
  • 慨日リズム障害:睡眠の体内リズムがずれてしまった状態
  • 過眠症:うつ症状やナルコレプシー(居眠り、情動脱力発作)
  • 睡眠随伴症 :夢中遊行(夢遊病)
    他にも睡眠時無呼吸症候群など
このように、眠れないだけではなく、過眠や夢遊病なども含まれた、日常生活の中で睡眠に伴うことによって引き起こされる障害全般を意味します。

それぞれの障害によって治療法は異なりますが、まず不眠症に対して認知行動療法の対処を解説していきます。
まず、不眠に陥っている過程において、その原因となるものに、睡眠を阻害する物事の捉え方(思考・認知)やそれに基づく行動がないかを探ります。
例えば、何かの心配事があって、それが頭から離れないことで眠れていなかったとします。
そのうち、眠れないことが原因で日中の仕事にミスが出たり、仕事中に集中できなかったりすると、眠れないことに焦りを感じてしまいます。
今度は眠らないといけないという脅迫観念に囚われて、眠ろうとすると「また眠れないんじゃないか」「早く寝ないとまた明日が辛い」といった考えで一杯になり、結局眠れなかったという繰り返しにはまっていきます。
原因は最初の心配事にあるという事を理解し、なぜ自分が不眠に陥っていったのかを分析することで、心配事と不眠とは別の問題であると認識(認知)できれば、不眠の解決に繋がります。
こういった誤った思考の捉え方、考え方を再認識していくことで精神障害の治療をしていくのが認知行動療法です。
もちろん、肉体的疾患に結びつくような生活習慣の改善は必要です。考え方を変えただけでは変わりません。むしろ、考え方が変わったから行動も変わったというのが本当で、行動が変わらないのは、実は考え方も変わっていないと言えます。
よく分かった、理解した、と言いますが、行動に表れないうちは理解したことにはなっていないんだということも認知したいところですね。

2015年7月23日木曜日

こころの健康と臨床 気分障害2

ここ近年になって、うつ病の一般的な認知度は上がってきています。
プチうつなんて言葉も出てきたり、有名人や芸能人などの告白や体験記、それらを原作にした映画が作られたりしています。
一昔前にくらべ、うつの症状についての理解も進んできていると思いますが、複雑な人のこころを理解するというのはなかなか困難なことです。

そうは言っても、うつ予備軍的な人は年々増加している傾向にあり、友人知人の中にもそういう人が現れてきているのではないでしょうか?
自分には関係ないと思っているかもしれませんが、周りにそういう人がいる場合にどう接すればよいのか、それ以上に、自分もそんな状態になりうるんだという認識を持つことが求められていると思います。

私もまさかうつになるとは、全く考えていませんでした。しかし、否応なく困難な状況に追い込まれていくと、自分ではどうしようもない精神状態になっていくものです。
体調は崩れ、吐き気に襲われることもしばしばでした。
幸いに、書店業をしていて、うつに関する本などは毎日のように目にしていましたから、知識だけは得ることが出来ていました。 そのおかげで、自分を省みる事ができ、ぎりぎりのところで踏みとどまれたのだと思います。
もし、なんの知識も持たずにあの状況にいたら、確実にうつ病になっていたのではないかと、振り返って考えてもそう思いますね。

今私は認知行動療法を学んでいますが、やはり知識を得るというのは重要で「心理教育」 という形で誰もがこころについての知識を学んでいく必要があります。
そうすることで、より円滑なコミュニケーションがとれる関係性を築くことができ、安らかな生活を営むことに繋がります。

さて、うつ病の症状で、もう一つ解説しておきましょう。
双極性障害と言われるものですが、簡単に言うとこれは躁の状態とうつの状態が交互に現れることによっておこる障害の事です。躁うつ病と言われたりします。
これは単純にうつ病と同じ治療法は当てはまりません。
薬による治療も、うつ病のものとは別種のものが処方されます。
なぜなら、うつ病の薬は、うつ状態を躁状態にする働きなので、これを双極性障害の躁の時に服用したら、更にハイになってしまうからです。

この躁という状態も、やる気や元気という範囲なら活発な行動力にもなりますが、行きすぎた状態になると、自分は何でも出来るという根拠の無い自信を持ち明らかに無謀な事でもやろうとする、客観的な判断力を無くし自分が絶対だと思い込む、といった精神状態になり、破滅的な行動も厭わなくなる危険が生じます。
障害というぐらいなので、こうなった状態では他人の言うことも聞かずに突き進んでいき、冷静になったときに、自分のしたことがとんでもないことだったと、今度は自責の念に苛まれて、うつの状態に陥っていく、という繰り返しに苦しむのです。

躁もうつも、日常生活の中では当たり前にある精神状態が、バランスを崩して過度な反応をしてしまっている事によって引き起こされます。
先ほどのように、躁もやる気や元気であれば快活な生活になりますし、うつも自己反省や自己批判として受け止めて自身の向上に繋げていければ、弱点の克服という自己啓発になっていきます。
問題はその方向に向かうベクトルが突き抜けてしまうことにあります。正常な範囲を行き来するのが本来のバランスなのに、振り幅が異常に大きくなってしまうことで障害にまで至ることになります。

このバランスが崩れる要因には、肉体的に次のような状態になっている場合が挙げられます。
  • 睡眠不足
  • 体調不良
  • ストレス
  • 肉体疲労
このような状態で慢性的な生活を送っていることによって、耐えられる限界を超えてしまうことになります。

ようするに、健康的な生活を送れば大丈夫なんだということですね。
要はバランスの問題です。

よくある例えとして、人間の状態を丸い円に置き換えて例えるというのがあります。
円の形というのは、どこにも引っかかりがない状態なのでスムーズに転がりますよね。
でも、どこか一部が出っ張って、角の様に尖ったりすると、そこが引っかかる。
表面がでこぼこになればなるほど、 転がりにくくなって行きます。
バランスを崩すというのは、それと同じ事なのです。
軽やかに転がるには、バランス良く丸くなっていなければなりません。

行きすぎても、足らなすぎてもダメ。

そんなふうに自分を見ていけば、バランスを欠いた部分も修正できるのではないでしょうか? さあ丸くなって軽やかに生きましょう。


2015年7月22日水曜日

こころの健康と臨床 気分障害

精神障害と定義されている症状は、アメリカ精神医学界によって定められた診断・統計マニュアルによって基準となる定義が決められています。
障害の状態を分類して定義したものですが、主にDSM-Ⅳ-TR(Diagnostical Statistical Manual of Mental Disorders Ⅳ)によって定義されているところから、気分障害(うつ病性障害、双極性障害など)についてを解説します。

まず、気分障害とは?
DSMで分類された定義によると
  • 大うつ病性障害(うつ病)
  • 気分変調性障害
  • 二重うつ病
  • 双極性障害(躁うつ病)
このように、うつと言っても症状には色々とあって、またその混合型もあるので、単純に気分が落ち込んでるからうつであるとは言えません。日常的に気分が上下することは当たり前ですし、それは正常な反応であるわけです。

では、うつ病と診断される状態についてDSMが定義するところは、
  • 抑うつ気分
  • 興味または喜びの喪失
これに加えて
  • 食欲体重の減少/増加
  • 不眠のまたは過眠
  • 精神運動性の焦燥・停止
  • 易疲労感、気力減退
  • 無価値、罪責感
  • 思考・集中低下、決断困難
  • 自殺念慮、自殺企図
こういった状態が 5つ以上で、2週間以上続き、生活に支障を来した場合です。
多くは朝方が一番つらく、男性は5%〜12%、女性で10%〜25%ぐらいが発症するとされています。

うつ病の行き着く先で恐いのは、自殺願望に到達してしまうことです。
なので、うつの症状を早期発見して適切な処置をすることが重要です。本人が気付かない場合も周囲の人が気付いてあげることで、重篤な状態を回避できます。
次のような、うつになりそうなサインを覚えておくと役に立ちます。

「知情意&身体」の症状

  • 思考(知):考えがまとまらない、決められない、理解力が落ちた、堂々巡り、自分を責める
  • 気分(情):憂うつ、気が晴れない、もの悲しい、不安、イライラ、感情的
  • 意欲(意):何をするのもおっくう、興味をもてない、根気がない
  • 身体症状:不眠、食欲低下、性欲減退、頭が重い、倦怠感、吐き気、めまい
こんな状態を周りから見ると、
「彼、ちょっとミスが多くなってない」「なんかここんとこ過剰な反応するんだよね〜」「最近つきあい悪くない?」「 なんかお昼も食べないけどダイエットでも始めた?」
「ちょっとなんかやつれてない」
こんなふうに、「なんか今までと違うなぁ、ちょっとおかしいぞ」と思えるような行動になってきたら、うつの初期症状を疑ってみると良いかもしれません。

そうなったとき、どうやって治していくかですが、まずはとにかく休むこと。
それと早めに薬を飲むこと。早いうちに服用すれば短期間で済むはずです。

周りの人のサポートでやってはいけないのが、「頑張れば大丈夫だよ」という激励や「どっか旅行でも行って気張らしするといいよ」といった励ましです。
ついつい言ってしまいがちですが、これはまずいことなので注意しましょう。
これを言われた本人はどういう状態になるかを理解する必要があります。

「頑張れ、おまえなら出来る!」

→「もうせいいっぱい頑張ってきてこうなってるのに、これ以上なにをどう頑張ったいいんだ、もう頑張れない自分はダメなんだ」
と更に自責感と絶望感を募らせることになります。

「気晴らしに旅行に行ったら?」

→「やってみたけど、楽しめなかった。なんだか疲れただけだったなあ、もう何やっても疲れちゃうし、何も出来ないや」
という疲労感と無力感が増大されることになります。

良かれと思って声を掛けているのに、本人にとってはより自分を追い込む言葉になってしまって、苦しんでしまうのです。

それから、うつの回復状態ですが、一気に治るということではありません。
良い状態、悪い状態を繰り返して、だんだんと良くなっていくという事を理解しておきましょう。なので、長期休養から復帰して治ったと捉えられがちですが、社会復帰出来るまで回復したということで、完治したというものではないということです。
ありがちなのは、復帰してもまた直ぐ調子が悪くなって休むと、「なんだちゃんと治ってないのか、しっかり治してから出てこいよ」みたいな空気になること。
そもそも、その職場の状態でうつになったのだから、戻ってきても何かうつとなる要因に触れると、また症状がでる可能性はあるはずです。それを克服するまでは、マラソンのような長期リハビリが必要になるということを理解しておきましょう。

うつ病になる人と思われがちな性格に「精神的に弱い」「頑張れない」「怠け者」といった人のイメージがありませんか?実際はこの逆の人の場合も多いのです。
だから余計に、あんなに頑張って仕事も出来ていたのに、といったイメージを持たれていて、つい激励や励ましをしてしまうということもあると思います。
完璧主義の人や協調性のある人、頑張り屋さんなども、それらがエスカレートしていって裏目に出てしまい発症するという事もあります。
例えば、協調性があるのは良いことですが、本人にとっては頼まれたら断れない、自己主張が出来ない、対人関係の葛藤を抱え込んでしまう、など負の要素も持っているという場合があります。それが抑制されて耐えきれなくなるのが原因でうつになる、といったような、一人一人の特性を理解して、どうなるとうつの予備症状に繋がるかを把握していく必要があります。

このように、自分の持つ性質についても自己理解をしていくことで、どうしたら裏目にでないか、その状態になったときに回避する技術(アサーション)を身につけましょう。



2015年7月20日月曜日

こころの健康と臨床 臨床心理学

こころの健康は、社会的に大きな問題となっています。

非常にストレスの多い時代となっているにもかかわらず、それをどの様に処理していけばよいのかを誰も教わることなく社会生活を過ごしています。

そもそも、このストレスとはどのように私達の肉体に影響を及ぼしているのか?
その事を理解していかないと、どう対処していけばよいのかが分からない。

ストレスとは何か?
 刺激により引起される非特異的生体反応。生体に加わる力をストレッサー,それによって起る生体の反応をストレスという。 1938年にストレス理論を提示したカナダ生化学者,H.セリエによると,「ストレスとは,どんな質問に対しても答えようとする身体の反応」である。
                本文は出典元の記述の一部を掲載しています。
               <ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より引用>
というように、簡単に言うと外部からの刺激による肉体の反応ということなんですね。

身体に刺激を与える(負荷をかける)というのは、運動と言えるでしょう。 とにかく身体を動かす事は負荷を掛けることですから、当然「疲れた〜」となります。
疲れたら休む。ゆっくり眠れば体力も回復。
普通ならそれで済むわけですが、過度な運動を続けていくと、ちゃんと回復しないまま更に負荷をかけていくことになるわけです。
すると、どうなるか。
これまた当然、身体を壊す。という事態になりますね。

そんなの当たり前じゃない!

そう。みんなそう思っているでしょ。

「そんなの分かってるよ。でもやらなきゃいけないから頑張ってるんじゃない。 疲れたなんて言ってられないんだよ!」
でも、身体を壊したら元も子もないじゃあないですか。

身体が疲れたというのは、分かりやすいですよね。では、精神が疲れるって事をどれだけ意識していますか?
精神だって同じ肉体なんです。疲れて当たり前。むしろこの精神的疲労の方が肉体に与える影響については重要であると言えます。
純粋に肉体疲労だけなら休めば回復します。でも、精神的に辛かったり、悩んでいたりしたら、何時までも疲れがとれない、という経験はありませんか?
逆に、とても楽しいことをしながら身体を使っているという時には、むしろ心地よい疲れだなあ、なんて思ったことはありませんか?

精神と肉体は連動しているのです。気の持ちようだ、なんて言い方もされていますよね。
でも、本当にそのとおりで、精神的なストレスから肉体への影響によって病気が発症してしまうという事を、案外軽視されてはいないでしょうか?

それは、精神(こころ)についての正しい理解が成されていないことだと思います。
教育では肉体の健康促進として体育の授業はありますが、精神の健康についての授業ってのは聞いたことがありません。
目に見える部分についてのアプローチはあるけれど、見えない部分については疎かにされているという気がします。むしろこの見えない部分の方がより重要であり、見えているものだけでは解決しない部分に意識を向けていかなければならない時代になったのでは、という気がしています。

一昔前でしたら精神を病んでいるという言い方に、ちょっと恐いような印象を持たれていたと思います。実際にそういう事は世間体が悪いから 人前では言えないとか、仮にそういう人がいたらなるべく外に出さないとか、そういう社会的な認知があったと思います。
しかし、最近では誰でも精神的な疾患が起こりうることはあることだし、”うつ”という言葉も社会的な認知度が増したという感じで、昔よりは理解度は上がっていることでしょう。
それでも、まだまだ正しい理解という意味では、非常に不十分と言えます。

最近は心理学に関する簡便な本も多数出版されていて、大分身近なものとなっているように思います。だれもが関心をもって知識をえられることは良いことだと思いますが、反面みんなそんなに悩んでるのかなって思う部分もありますね。

心理学というのはもともと哲学が起因にあって発展してきました。それが医学と結びつくことから精神医学の発展となりますが、脳機能の科学的解明によるところや、精神疾患の臨床データ分析による診断基準の確立が進んだのはつい最近のことになります。
現時点でもまだ解明されていない事項はあって、その複雑、難解さが一般的理解を遠ざけている要因になっていると考えられます。学術的な解明については、これから更に新たな発見がされることと思います。

そうは言っても、現実に悩み苦しんでいる人が今そこに居るわけですから、そこを何とかしていかなければならないわけで、そんな症状を改善する一つの療法として認知行動療法があります。

認知行動療法 CBT(Cognitive Behavior Therapy)
 「クライアントとの話し合いで、新しいものの見方や考え方、取り組み方を見つけて、クライアント自身が思考(認知)や行動のレパートリーを増やすことで、問題解決の方法に導く支援をする治療法」

精神障害に至る過程には、その人のこころの中にあるひとつの概念に囚われてしまっている事が要因としてあります。いわゆる、過度な思い込み、であったり、過剰な拘りであったり、他人から見れば何でそんなことで、と思うような事が、本人にとってはとても耐えられない状態であったりするわけです。
ではなぜそうなっているのか。
こころの仕組みを知る事で、自分自身の認知(物事の捉え方)を理解すれば、そういう苦しい状態から解放されます。そもそも自分でなぜそうなっているか分からないから、冷静な判断が出来ず、過剰に意識してしまい感情が暴走して、興奮状態になり、それを意識することで更に感情に拍車を掛けるというスパイラルに陥る。
それが高じるとパニックに陥り、障害として見なされる。
そういう精神の構造もきちんと理解していれば、自分のこころの癖として認知できるわけです。
本来人の考え方は多種多様なわけで、色んな見方があります。全てのものがそれぞれ違っているのが自然であり、それがこの世の中なわけなんです。自分だけの考えに固執することで他の在り方を拒絶するという生き方そのものが自然に反すると考えたなら、もう少し楽になれるんじゃないかと思います。

さて、こころの健康に関しては更に具体的な精神障害について 、認知行動療法のアプローチについてを話していきたいと思います。


2015年7月18日土曜日

なんだか辛くはないですか?

病んでいるなあ。

なんだか最近の世の中、そう思う事があるんですけど、昔からそんなだったっけ?
本当は昔だってそういう事はあったんだろうけれど、ここまで表面化してなかっただけなのかもしれないですね。

何の話って、精神的な苦痛や苦悩を抱えている人達が多くなってませんか?
自分の感覚では、なんとなく20年前あたりから、周りにも気分障害的な人が見受けられるようになった気がします。

その頃自分は書店で働いてました。
書店にいると、世の中で今何が注目されているのか、どんなことが起こっているのかが見えてきます。週刊誌や月刊誌の表紙を見れば、今話題になっていることが見出しとなって飛び込んできますし、売れている本はその時の流行を表しています。
本は月曜日から土曜日まで、毎日新刊が入荷されます。
実に毎日100冊以上の新刊が発行されているんですが、知ってました?
その日に発行された本のリストが新刊の入った段ボール箱に入ってくるのですが、A4サイズの両面にびっしり、日によってはそれが2枚、3枚だったりしました。
その中の一部しか、書店には届いていないんです。
そのリストの書名を見ながら、入荷してない本で”これは”と思うようなタイトルの本を発注するのが、毎朝の仕事でした。

売れる本は沢山入ってくるんじゃないの?
そう思うかもしれませんが、全く逆。
そもそも始めから話題になってるような本は、発売前から書店の争奪戦が始まって、いかに早く注文を取り付けるかが勝負になります。 そこには大手書店の力関係というバイアスがかかっているので、手をこまねいているとごっそり持って行かれて、売れると分かっている本なのに発売当日の入荷は2冊!
なんてことになってしまうのです。

そうなると、弱小書店としては、まだ誰も気付いていないこれから来るであろうベストセラーをいち早く見つけ出して、何処も注文しないうちに先に確約してしまえっ!という考えに行き着くわけです。
だからもう、世の中の事にアンテナをビンビンに張りまくり、これからどんなブームがくるか常に察知するような体質になっていました。
まだ話題にもなってないようなコミックを取り上げて、後になってそれがTV化されたりすると、してやったりの気分です。
書籍の場合はちょっと難しくて、3ヶ月以内に売れてくれないと、買い取りになるというリスクがありました。ある本など、出版社の営業が新刊の注文取りに来た時に、ピンときて大量発注しました。著者は外人で初翻訳の上下巻ものだから、誰も知らないわけで、案の定ぜんぜん売れてくれない。もうレジ前の一等地にドーンと積み上げてるのに、ホントに売れないんです。3ヶ月経ってもまだ数冊しか売れない。
もう返品しないと全額支払いというプレッシャーが来る中、これはもう意地でも置いておくぞ、と売り場の一等地を不当占拠したままでねばっていたら、それから半年後にTV番組に取り上げられて、結果追加注文というホッとした出来事もありました。
先取りしすぎも商売にならないという学びでしたね。

なんだか話が脱線しましたが、そんなふうに毎日入荷する本を眺めていると、ある時期から”こころ”に関する本が目に付くようになってきました。タイトルに”うつ”という文字が入っている本も目立ってきて、それが専門書ではなく読み物やエッセイといったジャンルに多くなってきたのです。
たぶんそれが20年前あたり、1995年頃からではないかと感じているわけです。

振り返ってみても1995年 というのは、阪神大震災、地下鉄サリン事件という当時史上最大の衝撃的な出来事があった年です。また一方ではグーテンベルグ以来の情報革命とも言われたインターネット元年とされる年でもありました。

では、それ以前と以後ではうつ病患者の数はどれほど違うのか?
と思ってちょっと調べたら、厚生労働省の調査レポートに気分障害の年度推移があったのですが、平成8年(1996年)からのデータなんですね。どうやら3年ごとに調査しているという事らしいですが、平成11年(1999年)までは43.3万人-44.1万人でしたが、平成14年(2002年)には71.1万人、その後増え続け平成20年(2008年)には100万人を超えています。
なんとなく感覚として思っていた事は、ちゃんと数字にも表れていたわけです。
1996年からのデータというのも、その頃から本格的な調査が始まったということなのかは分かりませんが、やはり1995年を区切りにというふうにも見えます。

それ以前というのは、やはり気分障害というもの自体の捉え方が稀薄だったと思います。
”うつ”というのも気の持ちようだと一蹴されてしまったような社会感覚ではなかったでしょうか。ヤル気がもてはやされた時代とも言えますか。
たぶん、同じように苦しんでいる人達はもっといたのでしょうが、それが疾患として認められていなかったんじゃないかという気がします。
逆に今は些細なことでも障害なんじゃないかと過敏になっているところもありそうですが、いずれにせよ心理的な事のもっと正しい知識を得る必要があると感じています。

障害に苦しむ人の理解も大切ですが、自分自身の心理を知ることもまた、自己の悩みや苦しみを解放する手段として有効なことです。
こころを知るというのは、なかなか複雑で困難な作業でもありますが、恐れず克服していく事でとても穏やかな暮らしを手に入れられます。

20年前の頃から、自分自身が色々と悩み、考え、経験した中で得られた気づきから、何かヒントを得て頂けたら嬉しく思います。

2015年7月16日木曜日

ブログ始めました。

SNSはやっていても、ブログはここ数年書いていませんでした。

自分の中ではこの数年間は激動の年という思いがあります。

今年になって、少しは落ち着いて来たような感じもしているので、そろそろその激動の中で味わった想いとか、得がたい教訓であったりとかを、伝える事ができたらと考えました。

そういう訳で、ブログ始めます。