2015年7月23日木曜日

こころの健康と臨床 気分障害2

ここ近年になって、うつ病の一般的な認知度は上がってきています。
プチうつなんて言葉も出てきたり、有名人や芸能人などの告白や体験記、それらを原作にした映画が作られたりしています。
一昔前にくらべ、うつの症状についての理解も進んできていると思いますが、複雑な人のこころを理解するというのはなかなか困難なことです。

そうは言っても、うつ予備軍的な人は年々増加している傾向にあり、友人知人の中にもそういう人が現れてきているのではないでしょうか?
自分には関係ないと思っているかもしれませんが、周りにそういう人がいる場合にどう接すればよいのか、それ以上に、自分もそんな状態になりうるんだという認識を持つことが求められていると思います。

私もまさかうつになるとは、全く考えていませんでした。しかし、否応なく困難な状況に追い込まれていくと、自分ではどうしようもない精神状態になっていくものです。
体調は崩れ、吐き気に襲われることもしばしばでした。
幸いに、書店業をしていて、うつに関する本などは毎日のように目にしていましたから、知識だけは得ることが出来ていました。 そのおかげで、自分を省みる事ができ、ぎりぎりのところで踏みとどまれたのだと思います。
もし、なんの知識も持たずにあの状況にいたら、確実にうつ病になっていたのではないかと、振り返って考えてもそう思いますね。

今私は認知行動療法を学んでいますが、やはり知識を得るというのは重要で「心理教育」 という形で誰もがこころについての知識を学んでいく必要があります。
そうすることで、より円滑なコミュニケーションがとれる関係性を築くことができ、安らかな生活を営むことに繋がります。

さて、うつ病の症状で、もう一つ解説しておきましょう。
双極性障害と言われるものですが、簡単に言うとこれは躁の状態とうつの状態が交互に現れることによっておこる障害の事です。躁うつ病と言われたりします。
これは単純にうつ病と同じ治療法は当てはまりません。
薬による治療も、うつ病のものとは別種のものが処方されます。
なぜなら、うつ病の薬は、うつ状態を躁状態にする働きなので、これを双極性障害の躁の時に服用したら、更にハイになってしまうからです。

この躁という状態も、やる気や元気という範囲なら活発な行動力にもなりますが、行きすぎた状態になると、自分は何でも出来るという根拠の無い自信を持ち明らかに無謀な事でもやろうとする、客観的な判断力を無くし自分が絶対だと思い込む、といった精神状態になり、破滅的な行動も厭わなくなる危険が生じます。
障害というぐらいなので、こうなった状態では他人の言うことも聞かずに突き進んでいき、冷静になったときに、自分のしたことがとんでもないことだったと、今度は自責の念に苛まれて、うつの状態に陥っていく、という繰り返しに苦しむのです。

躁もうつも、日常生活の中では当たり前にある精神状態が、バランスを崩して過度な反応をしてしまっている事によって引き起こされます。
先ほどのように、躁もやる気や元気であれば快活な生活になりますし、うつも自己反省や自己批判として受け止めて自身の向上に繋げていければ、弱点の克服という自己啓発になっていきます。
問題はその方向に向かうベクトルが突き抜けてしまうことにあります。正常な範囲を行き来するのが本来のバランスなのに、振り幅が異常に大きくなってしまうことで障害にまで至ることになります。

このバランスが崩れる要因には、肉体的に次のような状態になっている場合が挙げられます。
  • 睡眠不足
  • 体調不良
  • ストレス
  • 肉体疲労
このような状態で慢性的な生活を送っていることによって、耐えられる限界を超えてしまうことになります。

ようするに、健康的な生活を送れば大丈夫なんだということですね。
要はバランスの問題です。

よくある例えとして、人間の状態を丸い円に置き換えて例えるというのがあります。
円の形というのは、どこにも引っかかりがない状態なのでスムーズに転がりますよね。
でも、どこか一部が出っ張って、角の様に尖ったりすると、そこが引っかかる。
表面がでこぼこになればなるほど、 転がりにくくなって行きます。
バランスを崩すというのは、それと同じ事なのです。
軽やかに転がるには、バランス良く丸くなっていなければなりません。

行きすぎても、足らなすぎてもダメ。

そんなふうに自分を見ていけば、バランスを欠いた部分も修正できるのではないでしょうか? さあ丸くなって軽やかに生きましょう。


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